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君がまたあの女の子としゃべってる 凶器は和英辞典で充分

♡ 確証のない好きは積み重なって現実になった ♡

すきなひとがしぬこと

 

 

 

 


「 attention 」

このブログは言い回しとか言葉選びがものすごく失礼なところもあると思うので気になる人は読まないでください。

 

 

 

 


私には好きな人がいる。私の好きな人は舞台を中心に俳優活動をしていて、芸能人という立場にある。私はアルバイトをして、コツコツお金を稼いで好きな人の姿を見に行き続けている。チケットやプレゼントを買うためにお金を稼いで、さらにはなるべく可愛い姿で会いたくて洋服や化粧品を買う。私の行動の8割がその人に左右されている。彼は私の中でかけがえのない存在なのだ。

 

 

話が変わるが、好きな芸能人の引退というのはいつだって起こりうることだ。昨年俳優の成宮くんが芸能界を引退した。私は成宮くんのことが好きだった。好きだったと言っても成宮くんが出ているドラマや映画をチェックするくらいで、成宮くんを生で見たことはない。所謂その程度の好きだったのだけれど、私は彼の件が相当ショックだった。フライデーが事を報じてからは毎日のように新しい情報が飛び交い、多くの関係者がコメントを発表した。私はネットニュースで成宮くんの名前を見れば即座にそのニュースを開いて、少しでも多くのことを知ろうとした。でも成宮くんが引退を決めた時、私が引退を知った時にその情報すべてが必要なくなった。

 

覚醒剤とかセクシャルマイノリティとか、彼の意向だとか事務所の意向だとか、はたまた友人Aの存在だとか、引退に至るまでの話は沢山ある。でもそんなことは彼が引退してしまった今では無意味となった。無になればどんな経緯であれそれは無。そこにどんな理由が、どんな因果関係があろうとも彼がいなくなってしまったことに変わりはない。2度と私の中の彼が更新されることはない。私はもうDVDで過去の彼を見ることしかできないのだ。成宮くんがお茶目な写真を時たま送ってくれたLINEアカウントには、成宮寛貴が退出しました。という文字が残されていた。

 

私の中の成宮くんが死んだようなものだった。

 

私の中の成宮くんはあくまでも芸能人、俳優としての成宮くんだった。一般人としての彼は知らない。見たことがない。私の中には存在していない。芸能人である成宮くんがいなくなったことは私の中の成宮くん全てがいなくなったことを意味した。成宮くんは死んでしまった。

 

 

成宮くんの引退を経験して以降の私はずっと考えていた。憧れの芸能人が死ぬことは、物理的な死だけに留まらないのだと。

 

 

ここでようやく私の好きな人の話に戻る。先にもお話したが、私の好きな人は芸能人だ。彼がもし芸能人でなくなってしまえばどうなるだろう。私と彼を結んでいた唯一の関係、ファンと芸能人という関係は消滅する。「辞めてもずっと応援する」言うのは簡単だけれど表舞台に立たない彼をどう応援するのだろうと私は思う。関係が消滅すれば、私が彼に会うことはできない。偶然会う確率なんて割り出すだけバカだ。私と彼は2度と会えなくなるのである。その時私は成宮くんが引退したときのように思うのだろう。「彼は死んでしまった」と。

 

 

今私の目の前でキラキラしている彼は確実に存在し、数々の舞台をこなし、イベントでは私と話をしてくれる。それなのに彼が死んでしまったときのことを考えるなどバカげているかもしれない。しかし私はもう今を当たり前だと思えなくなった。終わりはいつ訪れるか分からない。人はいつ死んでしまうか分からないのだ。

 

 

だったらアルバイトが辛いなんて言っている暇はない。色々理由をつけて劇場に行かないことは愚かだと思うようになった。私は今を大切にして、彼にできるだけたくさん会って、できるだけたくさんの言葉を聞きたい。それがいつ終わってしまうかは分からないから。彼が死んだときにするであろう後悔を少しでも少なくしたいのだ。

 

 

私は会いに行かなかったことを悔いて泣くのではなく、何度も見た彼の綺麗な姿を思い出して泣きたい。私は今の自分を周りになんと言われようと構わない。 今が永遠じゃないことをいつも心の片隅に置いて、私は今日も彼に会いに行く。